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日本の石けんの歴史を解説!石けんは偶然できた?あの大手メーカーとの繋がりは?

nishiyama
たくみ
たくみ

こんにちは!石けん男子のたくみです。

このあいだ「磯右エ門SAVON」という少しレトロな石けんを買ってみたんだ。

どうやら日本ではじめてつくられた石けんの復刻版らしくて、箱の裏面には日本の石けんの歴史について書いてあったよ。

そのあと僕もいろいろ調べてみたから、今回は石けんができるまでのエピソードや、誰もが知っているあの企業とのつながりなどなど……日本の石けんの歴史について話していくね!

目次
  1. 日本初の石けん職人!堤磯右エ門さん
  2. 偶然見つかった石けんの作り方
  3. 工場の跡を継いだのは?
  4. 花王の創業者 村田亀太郎さん
  5. ライオンの創業者 小林富次郎さん
  6. 日本の石けんの歴史はここから始まった!
  7. まとめ

日本初の石けん職人!堤磯右エ門さん

「磯右エ門SAVON」のパッケージ裏面には「アワと消えるな!横浜シャボン史」とあって、この石けんの誕生秘話が書かれているね。まずはここから読んでいくよ。

「慶応2年(1866年)ごろ、横須賀製鉄所で働いていたハマっ子の堤磯右エ門は同じ職場のフランス人が使っていた、シャボンの威力と不思議さにびっくり!なにがなんでもと自らその製造を志しました」とあるね。

この「磯右エ門SAVON」の名前の由来になった堤磯右エ門さんはハマっ子、つまり横浜の人なんだね。

横須賀にある製鉄所で働いていて、仕事でよく手が真っ黒になっていたんだって。

でも同じ製鉄所で働いていたフランス人の同僚が石けんを使って手をキレイにしていたのをみかけてびっくりしたみたい!

石けん自体は織田信長の時代からあったけれど……当時はとても高価なもので一般庶民が買えるようなものではなかったんだよね。

続きを読んでいくよ。

「初めは自宅(現在の横浜市内)を工場にして悪戦苦闘!ついに明治6年(1873年)、待望の洗濯石鹸、つづいて化粧石鹸の製造に成功しました」とあるね。

堤磯右エ門さんは一般庶民でも使えるくらいに安くて、質もいい石けんを作りたい!と石けんづくりにチャレンジしたんだね。

最初は家で作っていたなんてびっくりだよね。

そしてここには書かれていないけれど……堤磯右エ門さんの石けんづくりはいろいろ苦労したみたいだよ。

偶然見つかった石けんの作り方

日本初の石けん職人、堤磯右エ門さんが特に苦労したのが、石けんを固形に固めるのに必要な「鹸化」。

作り方がわかっている今なら、廃油やオリーブオイルからでも石けんが作れるけれど、当時はどうすれば石けんができるのか?なんて誰もわからないからね。

堤磯右エ門さんがいろいろ試しても上手くいかなくて、借金もどんどん増えていって……そんななか、ある出来事がきっかけに鹸化できるものを見つけたんだって!

それはなんと夫婦喧嘩!

積み重なる借金にしびれを切らした堤磯右エ門さんの奥さんが、作業場に塩を撒いたらたまたま鹸化できて石けんができあがったとか。

鹸化に必要なものが塩だとわかるまでのエピソードはほかにもあって、「石けんづくりが上手くいくように」とお祓い用の塩をかけたら、鹸化して次の日石けんができていた!なんて話もあるみたい。

諸説あるしどっちが本当かはわからないけれど……石けんの作り方を見つけられたのは本当に偶然なんだね!

工場の跡を継いだのは?

こうして堤磯右エ門さんが石けんづくりにチャレンジしてから6年ほどで、日本ではじめての石けんがつくられるようになったよ。

堤右衛門さんはその後、日本で初めての石けん工場を作ったけれど……跡継ぎがいなくて工場は1代で閉じてしまったんだ。

でもそこから日本の石けんの歴史を引き継ぐのが、鳴春舎(めいしゅんしゃ)という工場!

堤磯右エ門さんの技術を受け継いだ堀江小十郎さんがつくった工場で、石けん職人の村田亀太郎さんが働いていたよ。

この石けん職人の村田亀太郎さんが、日本の石けんの歴史では欠かせない人物なんだ。

花王の創業者 村田亀太郎さん

石けん職人の村田亀太郎さんは鳴春舎で働いていたけれど、石けん作りに専念するために独立して、長瀬富郎さんという人と会社をつくるよ。

このとき作ったのが長瀬商店というところで、なんとあの花王の前身となった会社なんだって!

どうして村田亀太郎さんが鳴春舎を辞めたのか、長瀬さんと一緒に別の会社をつくったのかまではわからないけれど……当時の日本の石けんの質が関係しているのかな?と僕は思ったよ。

長瀬富郎さんは長瀬商店を作る前は、伊能商店というところで石けんや日用品を仕入れたり販売したりしていたみたい。

そしてその頃から、日本の石けんの品質が落ちてしまうようなこともあったらしく……もしかしたら「もっと高品質のものを作りたい!」と思って、取引先の鳴春舎で働いていた石けん職人の村田亀太郎さんと起業したのかもしれないね。

ライオンの創業者 小林富次郎さん

そして忘れてはいけない人がもう一人!

鳴春舎には小林富次郎さんという、のちに支配人になる人がいたんだ。

小林富次郎さんは石けん職人の村田亀太郎さんと鳴春舎で一緒に働いていた時期もあって、石けんづくりのノウハウがあったんだろうね。

小林富次郎さんはのちに、ライオンの創業者となるよ。

日本の大手洗剤メーカー、花王とライオンがルーツを辿れば一緒だなんて……びっくりだよね〜!

ちなみに小林富次郎さんは石けんのほかにもいろんな商売にチャレンジして、失敗もたくさんしてきたみたい。

精神的にも参ってしまったとき、とある牧師さんに救われたことから熱心なクリスチャンであることでも有名らしいよ。

日本の石けんの歴史はここから始まった!

というように堤磯右エ門さんが日本ではじめての石けんをつくったのをきっかけに、後を継いだ鳴春舎ができ、そこから花王とライオンが創業者がうまれ……そしていまの僕たちの生活を支えているんだね。

この石けん1つから日本の石けんの歴史が始まったと思うと、なんだかしみじみしちゃうね。

いまの花王やライオンは、石けんではなく合成洗剤づくりがメインの事業になっているけれど、その時代に求められるものを作っていく姿勢は変わらないなぁと思うよ。

これからも石けんや洗剤がどんな風に変わっていくのか、いまから楽しみだね!

まとめ

ということで今回は、日本初の石けん「磯右エ門SAVON」をみながら日本の石けんづくりの歴史について話していったよ。

かなりマニアックな話だったけれど、どうだったかな?気になることや感想があれば教えてね!

それでは、ここまで見てくださりありがとうございました。

またお会いしましょう~!

ABOUT ME
茂木和哉
茂木和哉
汚れ落とし研究家
1975年秋田県生まれ。20歳で温泉浴場清掃をバイトで経験。21歳で工業薬品や業務用洗剤の販売会社に就職。30歳で洗剤メーカーに転職し、1年後の秋田で独立。 独学で掃除と洗剤作りを学び、秋田からパソコン1つで情報発信を始め、自分の名前をつけた代表作「茂木和哉」を大ヒットさせる。現在ではシリーズ展開させ全国のお店に並ぶまでに。 汚れ落とし人生で得たノウハウを惜しみなく伝えるYouTubeチャンネル「茂木流掃除講座」は、チャンネル登録数30万を超える。
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