のぞみの記事

【必見!】日本初の国産石鹸と共に振り返る 知られざる石鹸の歴史【歴史振り返り】

suura
のぞみ

こんにちは!のぞみです。

私たちがいつも使っている石鹸

現在は固形のものはもちろん、香り付きのものや水石鹸といった複数のタイプが存在します
しかし皆さんは日本における「石鹸のはじまりをご存じですか?

最近「日本初の国産石鹸を復刻!」というキャッチコピーで「磯右ヱ門SAVON」という石鹸が発売されました
(引用:「磯右ヱ門SAVON 3個セット | リビング | madeinyokohama.jp」2021年12月6日確認)

今回はこの磯右ヱ門SAVONを傍らに、石鹸の歴史について語っていこうと思います!

因みに参考にするのは…
こちらの茂木和哉(@motegikazuya)のYouTube動画です↓

初の国産石鹸

戦術の通り日本初の国産石鹸の復刻版として販売されている磯右ヱ門SAVON
この製品名にもあるように、国産初石鹸は堤磯右ヱ門という人物によって作られました
ではまず石鹸の歴史を振り返るうえで欠かせない、堤磯右ヱ門について紹介していきましょう♪

堤磯右ヱ門という人物

慶応二(一八六六)年ごろ、当時横須賀製鉄所に勤務していた堤磯右ヱ門は、同じ職場にいたフランス人が使っていたシャボンに感銘を受けます
製鉄の際に使用する油による汚れをいとも簡単に落としてしまうシャボンは、磯右ヱ門にとって、強く興味を引く未知の物体だったに違いありません!
これがきっかけとなり、「これ(石鹸)を自分で作りたい!」と思うようになり、自宅を工場に改造してまでその野望をかなえようとしたそうです
すごい執念ですね…

鹸化の壁

さて、いざ石鹸づくりに取り掛かったのはいいものの、いくつかの壁が磯右ヱ門の野心を阻もうとします
もちろん開発費用不足による借金問題もありましたが、技術面で言うと、大変だったのは鹸化という工程です
鹸化とは固形石鹸のように石鹸を固めることをいいます
現在では素人でも簡単に行える鹸化ですが、当時の技術から考えるとかなり難しい工程だったのでしょう

しかしこの問題を解決したのが、です!

固まらない石鹸に塩をかけたところ、見事に固まったとのこと
こうして日本初の国産石鹼は見事完成したのです!

なおこの塩を投入するまでの過程には…、
開発が上手くいかず、腹を立てた磯右ヱ門の奥さんが怒って塩を投げ、それがたまたま石鹸にかかって固まった
なかなか石鹸が固まらず、もう失敗をしたくないというお祓いの意味で塩をかけたらたまたま固まった
などの説があります
私はどちらかというと後者の方が現実的な気もしますが、本当のところはどうだったんでしょうね?

日本の石鹸普及

堤磯右ヱ門によって見事完成した日本初の国産石鹸!
しかし磯右ヱ門には後継ぎがおらず、よってこの歴史に名を遺した磯右ヱ門の石鹸工場はたった一代で閉鎖してしまったのです
ではそれ以降の石鹸の歴史はどのように紡がれていったのでしょうか?

村田亀太郎という人物

磯右ヱ門以降の石鹸の歴史上、押さえておきたいのが村田亀太郎という人物です
彼は磯右ヱ門の石鹸製造技術を受け継ごうと作られた鳴春舎という工場で、石鹸職人として働いていた人物です

そしてのちに亀太郎は長瀬富郎という人物からスカウトを受け、鳴春舎を退職し、2人で長瀬商店という会社を設立します
この長瀬商店が現在の花王(kao)です

(画像引用:「花王|ロゴマークの変遷」2021年12月6日確認)

つまり長瀬富郎は花王の創業者ということですね
なお長瀬富郎はもともと伊能商店という会社に勤めており、この伊能商店と鳴春舎の間に取引があったため、それを通じて村田亀太郎と知り合いました
そして当時の日本産の石鹸は品質が悪いといわれていたこともあり、品質の良い石鹸を作ろうと2人で独立したようです

また当時の鳴春舎には小林富次郎という人物も在籍していました
彼はのちの支配人にもなり、その後独立も果たした石鹸作りの職人でした
もちろん亀太郎と共に仕事をしたこともあったようです
そしてこの小林富次郎が立ち上げた会社が、現在のLION(ライオン)です!

(画像引用:「ライオン株式会社」2021年12月6日確認)

つまり村田亀太郎という人物は、現在の花王とLIONの創業に深くかかわっているということですね!
また花王やLIONは洗剤メーカーという印象が強いものの、もともとは石鹸作りからスタートした企業だということもわかります

洗剤界の黒船襲来

こうして創業された花王とLION
現在も日本における大手の洗剤メーカーとして有名で、とても順調な経営だったかのように思えますが、ピンチもありました
それが1995年に起こった「洗剤界の黒船襲来」です!
その黒船とはP&Gのことです

(画像引用:「P&Gジャパン」2021年12月6日確認)

プロテクターとギャンブルという2人の人物が立ち上げたためP&Gという名がついた洗剤メーカーです
つまりP&Gは立派な海外企業だったのですね
当時はP&Gの主力商品であるジョイに、食器用洗剤の市場を大きくもっていかれ、花王とLIONはかなり割を食いました

まとめ

いかがでしたか?
今回は日本初の国産石鹸の復刻版である磯右ヱ門SAVONと共に、知られざる石鹸の歴史について紹介してきました!

堤磯右ヱ門、そして村田亀太郎という2人の人物によって、現在まで続く石鹸市場はつくられたといっても過言ではありません!
また花王やLIONといった創業にも深くかかわっているため、石鹸にとどまらず洗剤市場全体にも大きな影響を与えた2人です
このような歴史を振り返るのもたまにはいいですね♪

ではご精読ありがとうございました!
またお会いしましょう♪

ABOUT ME
茂木和哉
茂木和哉
汚れ落とし研究家
1975年秋田県生まれ。20歳で温泉浴場清掃をバイトで経験。21歳で工業薬品や業務用洗剤の販売会社に就職。30歳で洗剤メーカーに転職し、1年後の秋田で独立。 独学で掃除と洗剤作りを学び、秋田からパソコン1つで情報発信を始め、自分の名前をつけた代表作「茂木和哉」を大ヒットさせる。現在ではシリーズ展開させ全国のお店に並ぶまでに。 汚れ落とし人生で得たノウハウを惜しみなく伝えるYouTubeチャンネル「茂木流掃除講座」は、チャンネル登録数30万を超える。
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